「蛇性の婬」

豊雄は、国津罪を百日ほどで償い、その後大和の石榴市に住
む姉の処を、暫くの間お世話になる為に訪れた。

ところがその姉の処に、再び真女児が現れる。豊雄は恐れ戦
くが、真女児の必死の懇願に心の蟠りが崩れ始める。

面白いのは…。

「我も怪しき物ならば、此の人繁きわたりさへあるに、かう
のどかなる昼をいかにせん。衣に縫い目あり、日にむかへば
影あり。此の正しきことわりを思しわけて、御疑ひを解かせ
給へ。」

この当時、妖怪の定義は着物に縫い目がなく、太陽が当たれ
ば影が映らないという俗信があったようだ。これはなんとも
狐が人を化かすのを見分ける手段のような気がするが、その
定義に真女児は当てはまらなかった為に、豊雄の姉が言葉を
出した…。

「さる試あるべき世にもあらずかし…。」

という言葉をかける。これは…「妖怪が、人をたぶらかすな
どという、そんな例がありうるような世の中でもありません
よ。」
という意味だ。

これは現代にも通じる事で、今の世にそんな妖怪などと…と
いう言葉は、秋成の時代であっても迷信が無くなっていた時
代であるという事を言っているようなもの。しかしここで、
秋成のニヤリとほくそ笑む様子が浮かんでくる。「時代が変
わろうが、闇は消えないのだよ…。」と、ほくそ笑むのを。

江戸時代から、明治・大正・昭和・平成と現代に時代は移り
変わっても、世の中の闇、人の心の闇はあり続けるのだとい
う意味を込めてのセリフだったのかもしれない。実際、その
後に真女児の本性が現れる…。


真女児の感嘆に、豊雄の姉夫婦は婚儀を取り結ぼうとする。
元々真女児の美しさに惹かれた豊雄だから、わだかまりさ
え解ければ必然だったわけだ。

「千とせをかけて契るには、葛城や高間の山に夜々ごとに
たつ雲も、初瀬の寺の暁の鐘に雨収まりて、只あひあふ事
の遅きをなん恨みける。」



この文↑は、豊雄と真女児の交歓を表す。「今昔物語」な
どを読むと、かなり露骨な性描写があるのだけど、秋成の
文章は男女の交わりを表す場合でも、品があるというか、
美しいと思う。

上の文章は、山々に広がる雲が立ち去り、暁の鐘には雨が
収まるという表現なのだが「雲」で始まり「雨」で終わる。
いわば「雲雨」が、男女の契りを表す表現なのだという。

この文章を読むと、現代の露骨でストレートな表現に比べ
て、秋成の表現が男女の交わりを美しく醸し出している。

ただその後の真女児の本性は逆に、おどろおどろしい怖さ
に溢れる為、その怖さを引き出す伏線として、豊雄と真女
児の愛の交歓の表現だったのだろうと思うが…。



また昔からの占い事には、始めに神々の名前を連呼するか、
霊山とおぼしき名前を連呼して占うというのが一般的だ。
神々及び霊山を連呼する事によって、その霊を自分自身に
降ろして、霊験あらたかになるというもの。

またそれは、中世に確立された熊野神社による訴請文の内
容にも似通っている。霊山や神々に対し、その契りの重要
性を誓うというもの。それは、命に代えて守らねばならぬ
誓いだ。破った場合はばちが当たる…。それが上記に示し
た「」の言葉に、その訴請文と同じ意味合いが含まれてい
るような気がする。

だから豊雄は、死をもって真女児との契りを守らねばなか
ったのだだ。秋成も、熊野の地を意識したのならば、熊野
が発行する公的文書である訴請文の存在を知っていた筈だ。

だから、この「蛇性の淫」は、蛇の化身である真女児が、
熊野の地で命をかけて神々に誓いをたて、逆に人間である
豊雄がその誓約を破るという暴挙にでる話でもある。つま
り、昔から伝わる異類婚の話において人間である男が、女
である魔物のタブーを破り、その気持ちを裏切ると同じよ
うに、この「蛇性の淫」もまた同じだ。

話の大筋は、恐ろしい真女児からの逃げ延びる豊雄であり、
読者もその成り行きを見守るだけなのだと思うが、実はこ
の時点で、真女児の悲劇性が既に描かれていたのだと思う。
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by stavgozint | 2007-05-16 13:12 | 「蛇性の淫」
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