「青頭巾」展開部其の五

禅師が前を幾たび走り過ぐれども、更に禅師を見る事なし。堂の方に
駆りゆくかと見れば、庭をめぐりて躍りくるひ、遂に疲れふして起き
来らず。
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「耳なし芳一」では、全身にお経を書き記して、亡者から発見されぬ
ようにした。また「太平百物語」では、一晩中読経する事により化け
物から逃れた。「怪談とのゐ袋」では、気配を絶って怪物から助かる
話。いずれも背景には信仰の力というものがあるのだが、この「青頭
巾」の場合は、気配を絶ち、自然に溶け込む事によって魔から逃れた
となるのだろうか。ただ後半に示される言葉「江月照松風吹 永夜清
宵何所為」にかかってくるのだと思う。

ところで日本の曹洞宗開祖である道元は、ただひたすらに坐る事を重
視した。何かの功徳や利益を得る為に坐るのではなく、ただ坐る事に
打ち込む事であると。つまりこれは、ただそこに座すという事であり、
そこには自我が消え去るという事ではないのだろうか?鬼となった阿
闍梨という存在は、欲望の権化であり、動的存在だ。それと相対する
快庵禅師は、ただひたすらに風景と化した。

鬼をもって鬼を制すという言葉があるが、これは鬼になるからこそ、
そのものの邪心が目に付くからなのだと思う。ところが自らに纏うも
の全てを脱ぎ捨てて自然に帰るというものは、その風景に溶け込む
ものであるから、阿闍梨には見えなかったのだろう。
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by stavgozint | 2008-10-09 17:15 | 「青頭巾」
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