カテゴリ:「蛇性の淫」( 15 )

「蛇性の淫」決(補足)

* 補足

真女児(まなこ)という名の発生は"愛子(まなこ)"からきているのだという。
なので「蛇性の淫」は真女児の、恐ろしくも悲しい愛の深さを現した物語
だったのだと思う…。
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by stavgozint | 2008-06-25 20:05 | 「蛇性の淫」

「蛇性の淫」決、其の九

自分の中で、一つの結論がでました。豊雄が何故生き永らえたのか?

蛇は祟るもので、今も昔も有名なもの。その蛇である真女児が何故、
豊雄を祟らなかったのか?それはやはり、純粋に豊雄を愛していた
のだと思うのですよ。

「可愛さ余って憎さ百倍」という言葉があるが、あれほどの仕打ち
をされても真女児は豊雄に対して、何もしなかった。ただし二人の
間を邪魔する者達には徹底して、その憎しみを曝け出した真女児で
あるが、豊雄に対しては、それは結局無かった。

ここでやはり思い出すのは「道成寺」で、その可愛さ余って憎さ百
倍を実践した清姫の激しさ。当然この「蛇性の淫」も「安珍清姫」
の話を意識して作られたのはわかるが、真女児は清姫にはならなか
った。それはやはり、豊雄への愛の深さを現すものだと思うのだが…。
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by stavgozint | 2007-12-12 08:31 | 「蛇性の淫」

「蛇性の淫」決、其の八

蘭若に帰り給ひて、堂の前を深く堀せて、鉢のままに埋めさ
せ、永劫があひだ世に出づることを戒しめ給ふ。今猶、蛇が
塚ありとかや。庄司が女子はつひに病にそみてむなしくなり
ぬ。豊雄は命恙なしとなんかたりつたへける。




道成寺へは、まだ一度も行った事が無いのだけど、道成寺境内
の本堂前に金巻のあとの「蛇室」の石碑があり、清姫の蛇塚
は、境外の田の中にあるというが、この「蛇性の淫」のエピ
ローグの記述は、まさに「安珍・清姫伝説」に帰結させるも
のなのか?

ところで真女児に取り憑かれた富子は結局、病気になり死ん
でしまうが、豊雄は命に別状は無かったと伝えられたと結ん
でいる…。

もしも、豊雄に少しでも真女児と、犠牲になった富子に対す
る想いがあったのなら、その後に出家したとなるのだろうが、
ここでの豊雄は、単なる被害者の男であっただけ。しかし安
珍は因果応報、清姫に鐘の中で焼き殺されてしのうのだが、
豊雄は一般的な怪談映画の主人公よろしく、無事に生き延び
ている。これを、どう捉えるか?

ここまで読んできて、上田秋成はストーリーの中にいいろな
プロットを散りばめて、皮肉交じりでストーリーを展開して
きたようだが、エンディングに関しては何故か釈然としない。

ただ逆に言えば、単なる怖い話として一般に知らしめた「蛇
性の淫」を、その当時の人々がどこまでその奥を知り得たの
か?という事なのかもしれない。この結末を記した秋成の心
情に関しては、もう少し考えてみたい…。
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by stavgozint | 2007-06-01 22:25 | 「蛇性の淫」

「蛇性の淫」決、其の七

大和の石榴市で、豊雄と真女児が再会するのだけれど、石榴市は、
初瀬の地でもある。「こもくりの初瀬」とも呼ばれる地には、また違った
意味もあるのだろうと調べてみた…。

「万葉集」に「こもりくの泊瀬の国…。」などと書かれて
いるのだけど、初瀬の地は川船が停泊する瀬であるようで
すだ。

また「隠国(こもりく)」の初瀬とは、初瀬川を遡る時、両
岸の山々が次第に狭まって袋小路のように尽きる場所を意
味するようです。

「隠国」は「篭る」に通じる言葉で、狭い場所を示すよう
です。

「はつせ」という音も「果つる(はつる)」所の狭い渓谷を
現すようですだ。つまり「こもりく」は「初瀬」にかかる
枕詞?

実は聖徳太子も八角形の夢殿に篭って金人(仏)と会ったと
される逸話などから「篭る」というものは「暗い」「狭い」
を現す場所で「胎内」「洞穴」を示し、そこに現れる観音
などと出会う場所という意味もあるようです。

「長谷寺霊験記」というのがあって、長谷観音そのものが
女性へと変化したと記されているようですだ。

また聖徳太子と同じように、親鸞が六角堂に篭っての夢の
お告げでは、救世観音が女性となって現れ交わろうという
もの。

篭る狭い空間は、元々胎内を現して女性を意味するもので、
「こもりく初瀬」で男がそこで出会うのは、やはり女性で
あり、それは観音様の化身でもあるという…。

更に「隠国泊瀬」を調べると「日本書紀」において倭姫が
天照大神を祀る地として伊勢を見出したのだが、実はその
前に磯城(しき)という地で祀り、その後に伊勢へと遷した
とあるが、この「磯城」が「初瀬の地」なのだと。

つまり「初瀬の地」は、古来から聖なる地であり、神々し
さが溢れる地でもあるという事。

この地で、豊雄は真女児と再会したというのは、秋成の皮
肉の成せる業?それとも、観音になれる可能性の真女児を
人間である豊雄が魔物に変えてしまったのだろうか?
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by stavgozint | 2007-06-01 09:32 | 「蛇性の淫」

「蛇性の淫」決、其の六

そういえば、真女児と豊雄じゃないけれど、求愛と拒絶で
思い出すのは、ギリシア神話での「ダフネ」の話。

エロスがアポロンに対して黄金の矢を放ち、ダフネという
女性には鉛の矢を放ったエロス。

黄金の矢を受けた者は、永遠にその対象を愛し続け、鉛の
矢を受けた者は永遠にその対象を拒絶し続ける…。

無理やりごじつけるなら、この「蛇性の淫」でのエロスは
吉野で登場した、翁なのだろう。真女児の正体を見破り、
その様を豊雄に示して、永遠の拒絶を豊雄の心に刻みつけ
た。また、その障害によりますます豊雄を求める真女児は、
黄金の矢を放たれたアポロンのようでもある。結末こそ違
うけれど、求愛と拒絶として考えると、どうしても「ダフネ」の
話が、脳裏を過ぎってしまう…。

思うに、魔物と人間とに発生する愛とは、求愛と拒絶から
成り立っているのかもしれない。バランスが保たれた時に
それは実るのだけど、そのバランスが崩れれば、永遠に
結ばれる事の無い「求愛」と「拒絶」が繰り返されるのかも
しれない。
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by stavgozint | 2007-05-31 20:28 | 「蛇性の淫」

「蛇性の淫」決、其の五

豊雄を退けて、かの袈裟とりて見給へば、富子は現なく伏し
たる上に、白き虵の三尺あまりなる、蟠りて動だもせずてぞ
ある。老和尚これを捉へて、徒弟が捧げたる鉄鉢に納れ給ふ。

猶、念じ給へば、屏風の背より、尺ばかりの小蛇はひ出るを、
是をも捉りて鉢に納れ給ひ、かの袈裟をもてよく封じ給ひ、
そがままに輿に乗せ給へば、人々掌をあはせ、涙を流して敬
まひ奉る。



真女児の退治の描写であるけど、法師を殺した時は三尺の口
だったが、ここで芥子の香が染みこんだ袈裟を被せた後に、
その袈裟を取って見ると三尺の白蛇がとぐろを巻いていた。

原話となったらしい「白娘子」では「原型ニ複了シテ、三尺
ノ長キ一条ノ白蛇ニ変了ス。」
とあるようだ。つまりこれが
元々の真女児の正体であるのがわかる。

その真女児である白蛇を、法海和尚は鉄鉢に入れるのだが、
鉢で思い出すのは「御伽草子」の「鉢かづき姫」の話だ。
鉢かづき姫の母は、姫を時が至るまで穢れから守り、清浄さ
を保つ意味と同時に、観音の功徳によって身の安全を守ると
いう意味合いを込めて被せた鉢は呪術の証だ。語源は、サン
スクリット語のパートラから来ているらしく、その漢字訳の
原型は「鉢多羅」らしい。

元々鉢は、神霊を宿す呪物であり、その霊力によって魔を除
けたり、強靭な生命力を与える役割をする道具である。昔話
では、割れた鉢から金銀財宝や婚礼衣装が出てくる話もある
ので、異界とも繋がっていると思われたふしもある。

こういう意味があるからこそ、真女児の体を鉄鉢に納めたの
だろう。
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by stavgozint | 2007-05-31 18:10 | 「蛇性の淫」

「蛇性の淫」決、其の四

他の人々に迷惑をかけたくない豊雄は、真女児に自らを委ね
ようと決心するが富子の父の庄司は、最期の頼みの綱を道成
寺の法海和尚の力に託そうとする。

馬で駆けつけた庄司に対し、法海和尚は芥子の香の染みた袈
裟を庄司に与える。

芥子は昔、加持祈祷の際に護摩壇で焚かれたといい、息災・
降伏などの功徳があったとされる。とにかく魔を降伏させる
力が芥子にはあったとされたようだ。

庄司は喜び勇んで、豊雄の元へと戻り、その芥子の香が染み
た袈裟を真女児に被せて押さえ込む事にした。

「庄司今はいとまたびぬ。いざたまへ、出で立ちなん」

と、豊雄は真女児を騙すが、その豊雄の言葉に真女児は嬉し
そうにするが、その後に袈裟を被せられて押さえつけられて
しまうのが、とても憐れに感じてしまう…。

「あな苦し。汝何とてかく情なきぞ。しばしここ放せよかし」

純愛を貫き通す真女児に対し、人を一人殺めた真女児を非常
なまでに押さえ込む豊雄…。

魔物との純愛で思い出すのは「牡丹灯篭」だ。新三郎は寺子
屋の子供達や、長屋の人々を思い生きようと決めたが、部屋
の周りに貼ってあるお札に、お露は悲痛な悲しみを見せる。

最終的には、第三者の手によってお札は剥がされるのだが、
新三郎は魔物である、お露と結ばれる事を決意する。つまり、
心の中にお露を求める新三郎の姿があったからだ。

しかし、この「蛇性の淫」は、真女児に対する心の揺らぎは
微塵にも感じない。「日本霊異記」での狐と結ばれた男は、
契りを結び狐という正体がばれても尚、狐に対したまに戻っ
てくれば良いと言ったが、同じく契りを持った仲でありながら
豊雄は真女児に対し、完全に非常になり切っている。

この非常さによって、この「蛇性の淫」は、魔物と人間の純
愛ものにはならず、安珍・清姫伝説の安珍と同じく、ただ蛇
となった真女児を恐れる豊雄の姿だけであった。

ただ焼き殺され非業の最期遂げる安珍はその後、道成寺の住
持のもとに現れて供養を頼み、住持の唱える法華経の功徳に
って二人は成仏し、天人の姿で住持の夢に現れたのだが、そ
れすらも無いのが「蛇性の淫」だ。
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by stavgozint | 2007-05-30 19:44 | 「蛇性の淫」

「蛇性の淫」結、其の参

法師は、真女児である蛇の毒気にあてられて死んでしまう。
これ以上、犠牲を出してはならぬと豊雄は、自ら真女児の
元へと向かった。

本性を出すほどに怒りをあらわにした真女児だったが…。

「…ひたすら吾が貞操をうれしとおぼして、徒々しき御心
をなおぼしそ」

(ひたすら私があなた一人を一途に思い慕って貞操を守っ
ているのに、不実な心をみせないでください。)



この真女児の言葉は、嘘か真か…人々の間に広がる蛇の意
識は淫らなるもので、いろいろなものと交わるのが蛇だと。
ところが、この真女児の言葉は、人間界に蔓延する蛇に対
する意識を否定するものである。しかしこれは、この作品
をここまで読めばわかるように、真女児は豊雄に対する不
誠実な態度は示していない。逆に、豊雄は真女児の正体が
魔性のものと知って、態度を翻したのであるから、恐ろし
い描写の中ではあるけれど、異類婚の展開を表す。

異類婚とは「夕鶴」しかり「雪女」しかり…異類であるも
のが人間の女性に化けて近付き、婚姻を果たすのだが、男
は女の示すタブーを破ったり、不実な行動にでてしまうと
いう典型的なパターン。

この異類婚は、女というものは常に本性を隠しているもの
だ。そして男は、必ず約束を破るものだ…と昔から云われ
ているものだ。

契りを結びながら、真女児の正体を知って避ける豊雄は、
やはり最低男?(^^;

しかし豊雄は、真女児に対して反論する…。

「世の諺にも聞ゆることあり。『人かならず虎を害する心
なけれども、虎反りて人を傷る意あり。』とや。汝、人な
らぬ心より、我に纏うて幾度かからきめを見するさへある
に、かりそめ言をだにも此の恐ろしき報いをなんいふは、
いとむくつけなり。れど吾を慕う心は、はた世人にもかは
らざれば、ここにありて人々の嘆きを給はんがいたはし…。」



ここに登場する諺は、中国の「白娘子」と同じ言葉を書き
綴っている。ただ昔の中国では、虎は猫の王であり、人を
騙して旅人などを食べる存在で恐ろしいものだという認識
によりできた諺だと思う。

それと気になるのは…「かりそめ言をだにも此の恐しき報
いをなんいふは、いとむくつけなり。(私のちょっとした
言葉に対して、恐ろしい仕返しをする脅し文句を言うとい
うというのは、大変恐ろしい事だ。)」


この↑セリフを読むと、豊雄には自らの言葉に対する責任
を感じていないのがわかる。逆に、周りを巻き込み祟ると
いう真女児に対しての批判になっている。

しかし真女児は豊雄が「我をいづくにも連れてゆけ。」と
いう言葉に対して、嬉しそうにする。真女児にとっては純
粋に豊雄を求めているのだという事もわかる。

過去に登場した、吉野での翁は蛇は様々なものと交わる淫
らな存在だという言葉が、ここの真女児の仕草には微塵に
も感じられない。話は結末まで行っていないが、秋成がこ
の物語で言いたいのは、恐怖の物語に隠れているが、一般
的な人というものは、異なるものに対する偏見に加えて、
不実な人間の心を説いでいるのかもしれない。そうでなけ
れば、原型となった物語「白娘子」がハッピーエンドで終
わったように、この「蛇性の淫」もハッピーエンド終わら
せなければならなかった筈だ…。
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by stavgozint | 2007-05-25 21:57 | 「蛇性の淫」

「蛇性の淫」結、其の弐

「又胆を飛ばし、眼を閉ぢて伏向に臥す。和めつ驚しつ、かは
るがわる物うちいへど、只死に入りたるようにて夜明けぬ。 」



これ↑は、豊雄の驚きを表す表現なのだけど、まさに蛇に
睨まれた蛙になったかの表現で、合間に「和めつ驚かしつ」
(なだめたり驚かしたり)と、映像にしたら多分笑うシーン
のような気がする(笑)(^^;


ところで、たまたま登場した法師は、霊験あらたかな僧とい
う評判の者。ところがこの時代、胡散臭い法力者も多かった
らしく、今も昔も?法外な値段にてお祓いをする者を皮肉る
形で登場させたのだと思う。

「老いたるも童も必ずそこにおはせ。此の虵只今捉りて見せ
奉らん」



法師は自信満々に真女児の居る部屋に入るのだが、その
瞬間に、法師を威嚇する。

正体を現した蛇の頭は「戸口に充ち満ちて大きい。」そして、
白蛇であるから、その色合いは「雪を積みたるよりも白く輝々
しく」眼の輝きは「鏡の如く」角は「枯木の如」そして「三
尺余りの口を開き」「紅の舌を吐いて」、只一呑に飲むらん
勢をなす…とある。

魔物の眼の輝きを現す場合は大抵、鏡のようにという表現が
一般的だ。ましてや鏡は、元々蛇の古語「カガ」から変化し
て、「カガの目」が、後に語音変化して「カガミ」となり、
今では金偏となって、蛇の姿をみる事が出来ない。正月の
鏡餅は元々蛇のとぐろを巻く姿を現しているので、鏡はその
まま蛇を現す。

また角は枯木の如くは、そのまま齢を重ねた蛇を現す表現だ
ろう。ただ角があるから、龍と同じだと思えばいいと思う。

そして三尺(約3㍍)余りの口をという表現は、それだけ大き
いという表現に加えて、三という聖数を表し、神秘性を醸し
出す為なのでは?と思う。三は…例えば、蛇体になった甲賀
三郎や伊吹童子も、元は伊吹の弥三郎と言われた。また、
新潟などに伝わるヤサブロウバサも三を有する。また風の又
三郎も三があり、神秘的な力を持つものは三という数字を有
しているものと考えてもよいと思う。
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by stavgozint | 2007-05-21 22:07 | 「蛇性の淫」

「蛇性の淫」結、其の壱

この吉野での出来事があり、豊雄は紀の国へと帰った。家族
は、豊雄が独り身なので、こういう目に遭うのだと、妻を迎
える事とした…。

芝の里の庄司という男の一人娘で、富子という女性との婚姻
が結ばれた。行儀もよく容姿も美しかったので、豊雄は富子
に満足したようだったが…婚姻を果たした2日目の夜に、そ
の富子が言葉を発する。

「古き契りを忘れ給ひて、かくことなる事なき人を時めかし
給ふこそ、こなたよりまして悪くあれ。」



富子の口から、真女児の声が響き、豊雄は恐怖にかられた…。

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蛇は執念深く、人に取り憑くものとされたのだが、この取り
憑くという事だが、蛇は男根の象徴ともなりえる。古来から、
蛇は女性の内部に侵入したという逸話が多い。

「田舎医者 蛇を出したで 名が高し」


こういう川柳が流行ったのは、昔の女性の下着は腰巻で、下
半身が無防備だった為に、野山で花摘み遊びをした後に、昼
寝をしている最中、蛇が侵入したという事件が多かったよう
だ。

また、野山は里と違い異界であるから、女人禁制の山が、か
なり制定されたらしい。これは山伏が山に入り込み、山の修
行は男の場所だと、女性の出入りを禁じたという説もあるが、
ある場合では妊娠のイステムが昔はわからなかった為とも云
われる。

これは、女性というものは子供を産む存在ではあるけれど、
それは何も人間の男だけでなく、いろいろな動物や物の怪と
も交わって、子供を成すのでは?と信じられていたようだ。
だから、その女性を異界の生き物から守る為に、女人禁制と
した山も多かったとか。

今昔物語などにも、女性の陰部に侵入しようとした蛇の話が
あるが、内部に侵入するというのは、その人格を乗っ取られ
るという意識もあったようだ。

また女性は巫女などという存在もいるので、神を降ろす憑代
としては最適な存在である。霊媒体質と云われる人の殆どが
女性というのも、お腹に生命を宿す事ができる女性ならでは
なのだろう。ただ繰り返して言うけれど、宿すものは何も、
人間の子供だけでは無いと思われていたようである。

元々蛇は、三輪山の蛇ではないが、男が多かった。それがい
つしか、蛇の執念深さと女性の執念深さ、嫉妬深さが重なり
合い、女性と蛇が結びついたようである。

だから今回、蛇である真女児にとって、富子の体を乗っ取る
という事は、簡単だったのだろう。

ついでに補足すれば、同じ紀の国に「道成寺」があった事に
も、蛇女というキャラクターが起因しているのだと思う。


「吾が君な怪しみ給ふそ。海に誓い、山に盟ひし事を速く
わすれ給ふとも、さるべき縁のあれば又もあひ見奉るもの
を、他人のいふことをまことしくおぼして、強ちに遠ざけ
給はんには、恨み報いなん。紀路の山々さばかり高くとも、
君が血をもて峯より谷に灌ぎくださん。」

(そんなに怪しまないでください。海に誓い山にも誓った
仲であるから、こうして再びめぐり逢えるのに、他人の
言葉を真に受けてわたしを遠ざけるならば、恨みを報い
てもらいますよ。紀路の山々がどれだけ高くとも、その
あなたの血を峯から谷に注いでみせましょう。)



この真女児の言葉の冒頭に「海に誓ひ、山に盟ひ…。」
とあるけが、やはりこれは熊野が発行する起請文を意図
してのものだろうと思われる。

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ちなみに起請文とは、ある事柄を神仏に誓うとともに、
もしそれが嘘だったり、その誓約を破ったとしたら、呪
術的な力によって自分は罰を受けるだろうという意味あ
いを持った宣誓書で、熊野であれば「牛王宝印」である。
海や山々に誓いを立てた事で、この「牛王宝印」と同じ
になるという事を含めて、真女児は豊雄に対し、恨みを
報いてもらうと言ったのだと思う。それほど中世時代に
確立された起請文=牛王宝印は絶対なのである。だから
当然、豊雄は罪を償わなくてはならない…。
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by stavgozint | 2007-05-20 17:20 | 「蛇性の淫」