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「蛇性の淫」決、其の六

そういえば、真女児と豊雄じゃないけれど、求愛と拒絶で
思い出すのは、ギリシア神話での「ダフネ」の話。

エロスがアポロンに対して黄金の矢を放ち、ダフネという
女性には鉛の矢を放ったエロス。

黄金の矢を受けた者は、永遠にその対象を愛し続け、鉛の
矢を受けた者は永遠にその対象を拒絶し続ける…。

無理やりごじつけるなら、この「蛇性の淫」でのエロスは
吉野で登場した、翁なのだろう。真女児の正体を見破り、
その様を豊雄に示して、永遠の拒絶を豊雄の心に刻みつけ
た。また、その障害によりますます豊雄を求める真女児は、
黄金の矢を放たれたアポロンのようでもある。結末こそ違
うけれど、求愛と拒絶として考えると、どうしても「ダフネ」の
話が、脳裏を過ぎってしまう…。

思うに、魔物と人間とに発生する愛とは、求愛と拒絶から
成り立っているのかもしれない。バランスが保たれた時に
それは実るのだけど、そのバランスが崩れれば、永遠に
結ばれる事の無い「求愛」と「拒絶」が繰り返されるのかも
しれない。
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by stavgozint | 2007-05-31 20:28 | 「蛇性の淫」

「蛇性の淫」決、其の五

豊雄を退けて、かの袈裟とりて見給へば、富子は現なく伏し
たる上に、白き虵の三尺あまりなる、蟠りて動だもせずてぞ
ある。老和尚これを捉へて、徒弟が捧げたる鉄鉢に納れ給ふ。

猶、念じ給へば、屏風の背より、尺ばかりの小蛇はひ出るを、
是をも捉りて鉢に納れ給ひ、かの袈裟をもてよく封じ給ひ、
そがままに輿に乗せ給へば、人々掌をあはせ、涙を流して敬
まひ奉る。



真女児の退治の描写であるけど、法師を殺した時は三尺の口
だったが、ここで芥子の香が染みこんだ袈裟を被せた後に、
その袈裟を取って見ると三尺の白蛇がとぐろを巻いていた。

原話となったらしい「白娘子」では「原型ニ複了シテ、三尺
ノ長キ一条ノ白蛇ニ変了ス。」
とあるようだ。つまりこれが
元々の真女児の正体であるのがわかる。

その真女児である白蛇を、法海和尚は鉄鉢に入れるのだが、
鉢で思い出すのは「御伽草子」の「鉢かづき姫」の話だ。
鉢かづき姫の母は、姫を時が至るまで穢れから守り、清浄さ
を保つ意味と同時に、観音の功徳によって身の安全を守ると
いう意味合いを込めて被せた鉢は呪術の証だ。語源は、サン
スクリット語のパートラから来ているらしく、その漢字訳の
原型は「鉢多羅」らしい。

元々鉢は、神霊を宿す呪物であり、その霊力によって魔を除
けたり、強靭な生命力を与える役割をする道具である。昔話
では、割れた鉢から金銀財宝や婚礼衣装が出てくる話もある
ので、異界とも繋がっていると思われたふしもある。

こういう意味があるからこそ、真女児の体を鉄鉢に納めたの
だろう。
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by stavgozint | 2007-05-31 18:10 | 「蛇性の淫」

「蛇性の淫」決、其の四

他の人々に迷惑をかけたくない豊雄は、真女児に自らを委ね
ようと決心するが富子の父の庄司は、最期の頼みの綱を道成
寺の法海和尚の力に託そうとする。

馬で駆けつけた庄司に対し、法海和尚は芥子の香の染みた袈
裟を庄司に与える。

芥子は昔、加持祈祷の際に護摩壇で焚かれたといい、息災・
降伏などの功徳があったとされる。とにかく魔を降伏させる
力が芥子にはあったとされたようだ。

庄司は喜び勇んで、豊雄の元へと戻り、その芥子の香が染み
た袈裟を真女児に被せて押さえ込む事にした。

「庄司今はいとまたびぬ。いざたまへ、出で立ちなん」

と、豊雄は真女児を騙すが、その豊雄の言葉に真女児は嬉し
そうにするが、その後に袈裟を被せられて押さえつけられて
しまうのが、とても憐れに感じてしまう…。

「あな苦し。汝何とてかく情なきぞ。しばしここ放せよかし」

純愛を貫き通す真女児に対し、人を一人殺めた真女児を非常
なまでに押さえ込む豊雄…。

魔物との純愛で思い出すのは「牡丹灯篭」だ。新三郎は寺子
屋の子供達や、長屋の人々を思い生きようと決めたが、部屋
の周りに貼ってあるお札に、お露は悲痛な悲しみを見せる。

最終的には、第三者の手によってお札は剥がされるのだが、
新三郎は魔物である、お露と結ばれる事を決意する。つまり、
心の中にお露を求める新三郎の姿があったからだ。

しかし、この「蛇性の淫」は、真女児に対する心の揺らぎは
微塵にも感じない。「日本霊異記」での狐と結ばれた男は、
契りを結び狐という正体がばれても尚、狐に対したまに戻っ
てくれば良いと言ったが、同じく契りを持った仲でありながら
豊雄は真女児に対し、完全に非常になり切っている。

この非常さによって、この「蛇性の淫」は、魔物と人間の純
愛ものにはならず、安珍・清姫伝説の安珍と同じく、ただ蛇
となった真女児を恐れる豊雄の姿だけであった。

ただ焼き殺され非業の最期遂げる安珍はその後、道成寺の住
持のもとに現れて供養を頼み、住持の唱える法華経の功徳に
って二人は成仏し、天人の姿で住持の夢に現れたのだが、そ
れすらも無いのが「蛇性の淫」だ。
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by stavgozint | 2007-05-30 19:44 | 「蛇性の淫」

威嚇

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生を受け無我夢中にむさぼるは野生という名の獣道かな
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by stavgozint | 2007-05-29 13:39 | 遠野の生き物達

「蛇性の淫」結、其の参

法師は、真女児である蛇の毒気にあてられて死んでしまう。
これ以上、犠牲を出してはならぬと豊雄は、自ら真女児の
元へと向かった。

本性を出すほどに怒りをあらわにした真女児だったが…。

「…ひたすら吾が貞操をうれしとおぼして、徒々しき御心
をなおぼしそ」

(ひたすら私があなた一人を一途に思い慕って貞操を守っ
ているのに、不実な心をみせないでください。)



この真女児の言葉は、嘘か真か…人々の間に広がる蛇の意
識は淫らなるもので、いろいろなものと交わるのが蛇だと。
ところが、この真女児の言葉は、人間界に蔓延する蛇に対
する意識を否定するものである。しかしこれは、この作品
をここまで読めばわかるように、真女児は豊雄に対する不
誠実な態度は示していない。逆に、豊雄は真女児の正体が
魔性のものと知って、態度を翻したのであるから、恐ろし
い描写の中ではあるけれど、異類婚の展開を表す。

異類婚とは「夕鶴」しかり「雪女」しかり…異類であるも
のが人間の女性に化けて近付き、婚姻を果たすのだが、男
は女の示すタブーを破ったり、不実な行動にでてしまうと
いう典型的なパターン。

この異類婚は、女というものは常に本性を隠しているもの
だ。そして男は、必ず約束を破るものだ…と昔から云われ
ているものだ。

契りを結びながら、真女児の正体を知って避ける豊雄は、
やはり最低男?(^^;

しかし豊雄は、真女児に対して反論する…。

「世の諺にも聞ゆることあり。『人かならず虎を害する心
なけれども、虎反りて人を傷る意あり。』とや。汝、人な
らぬ心より、我に纏うて幾度かからきめを見するさへある
に、かりそめ言をだにも此の恐ろしき報いをなんいふは、
いとむくつけなり。れど吾を慕う心は、はた世人にもかは
らざれば、ここにありて人々の嘆きを給はんがいたはし…。」



ここに登場する諺は、中国の「白娘子」と同じ言葉を書き
綴っている。ただ昔の中国では、虎は猫の王であり、人を
騙して旅人などを食べる存在で恐ろしいものだという認識
によりできた諺だと思う。

それと気になるのは…「かりそめ言をだにも此の恐しき報
いをなんいふは、いとむくつけなり。(私のちょっとした
言葉に対して、恐ろしい仕返しをする脅し文句を言うとい
うというのは、大変恐ろしい事だ。)」


この↑セリフを読むと、豊雄には自らの言葉に対する責任
を感じていないのがわかる。逆に、周りを巻き込み祟ると
いう真女児に対しての批判になっている。

しかし真女児は豊雄が「我をいづくにも連れてゆけ。」と
いう言葉に対して、嬉しそうにする。真女児にとっては純
粋に豊雄を求めているのだという事もわかる。

過去に登場した、吉野での翁は蛇は様々なものと交わる淫
らな存在だという言葉が、ここの真女児の仕草には微塵に
も感じられない。話は結末まで行っていないが、秋成がこ
の物語で言いたいのは、恐怖の物語に隠れているが、一般
的な人というものは、異なるものに対する偏見に加えて、
不実な人間の心を説いでいるのかもしれない。そうでなけ
れば、原型となった物語「白娘子」がハッピーエンドで終
わったように、この「蛇性の淫」もハッピーエンド終わら
せなければならなかった筈だ…。
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by stavgozint | 2007-05-25 21:57 | 「蛇性の淫」

「蛇性の淫」結、其の弐

「又胆を飛ばし、眼を閉ぢて伏向に臥す。和めつ驚しつ、かは
るがわる物うちいへど、只死に入りたるようにて夜明けぬ。 」



これ↑は、豊雄の驚きを表す表現なのだけど、まさに蛇に
睨まれた蛙になったかの表現で、合間に「和めつ驚かしつ」
(なだめたり驚かしたり)と、映像にしたら多分笑うシーン
のような気がする(笑)(^^;


ところで、たまたま登場した法師は、霊験あらたかな僧とい
う評判の者。ところがこの時代、胡散臭い法力者も多かった
らしく、今も昔も?法外な値段にてお祓いをする者を皮肉る
形で登場させたのだと思う。

「老いたるも童も必ずそこにおはせ。此の虵只今捉りて見せ
奉らん」



法師は自信満々に真女児の居る部屋に入るのだが、その
瞬間に、法師を威嚇する。

正体を現した蛇の頭は「戸口に充ち満ちて大きい。」そして、
白蛇であるから、その色合いは「雪を積みたるよりも白く輝々
しく」眼の輝きは「鏡の如く」角は「枯木の如」そして「三
尺余りの口を開き」「紅の舌を吐いて」、只一呑に飲むらん
勢をなす…とある。

魔物の眼の輝きを現す場合は大抵、鏡のようにという表現が
一般的だ。ましてや鏡は、元々蛇の古語「カガ」から変化し
て、「カガの目」が、後に語音変化して「カガミ」となり、
今では金偏となって、蛇の姿をみる事が出来ない。正月の
鏡餅は元々蛇のとぐろを巻く姿を現しているので、鏡はその
まま蛇を現す。

また角は枯木の如くは、そのまま齢を重ねた蛇を現す表現だ
ろう。ただ角があるから、龍と同じだと思えばいいと思う。

そして三尺(約3㍍)余りの口をという表現は、それだけ大き
いという表現に加えて、三という聖数を表し、神秘性を醸し
出す為なのでは?と思う。三は…例えば、蛇体になった甲賀
三郎や伊吹童子も、元は伊吹の弥三郎と言われた。また、
新潟などに伝わるヤサブロウバサも三を有する。また風の又
三郎も三があり、神秘的な力を持つものは三という数字を有
しているものと考えてもよいと思う。
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by stavgozint | 2007-05-21 22:07 | 「蛇性の淫」

「蛇性の淫」結、其の壱

この吉野での出来事があり、豊雄は紀の国へと帰った。家族
は、豊雄が独り身なので、こういう目に遭うのだと、妻を迎
える事とした…。

芝の里の庄司という男の一人娘で、富子という女性との婚姻
が結ばれた。行儀もよく容姿も美しかったので、豊雄は富子
に満足したようだったが…婚姻を果たした2日目の夜に、そ
の富子が言葉を発する。

「古き契りを忘れ給ひて、かくことなる事なき人を時めかし
給ふこそ、こなたよりまして悪くあれ。」



富子の口から、真女児の声が響き、豊雄は恐怖にかられた…。

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蛇は執念深く、人に取り憑くものとされたのだが、この取り
憑くという事だが、蛇は男根の象徴ともなりえる。古来から、
蛇は女性の内部に侵入したという逸話が多い。

「田舎医者 蛇を出したで 名が高し」


こういう川柳が流行ったのは、昔の女性の下着は腰巻で、下
半身が無防備だった為に、野山で花摘み遊びをした後に、昼
寝をしている最中、蛇が侵入したという事件が多かったよう
だ。

また、野山は里と違い異界であるから、女人禁制の山が、か
なり制定されたらしい。これは山伏が山に入り込み、山の修
行は男の場所だと、女性の出入りを禁じたという説もあるが、
ある場合では妊娠のイステムが昔はわからなかった為とも云
われる。

これは、女性というものは子供を産む存在ではあるけれど、
それは何も人間の男だけでなく、いろいろな動物や物の怪と
も交わって、子供を成すのでは?と信じられていたようだ。
だから、その女性を異界の生き物から守る為に、女人禁制と
した山も多かったとか。

今昔物語などにも、女性の陰部に侵入しようとした蛇の話が
あるが、内部に侵入するというのは、その人格を乗っ取られ
るという意識もあったようだ。

また女性は巫女などという存在もいるので、神を降ろす憑代
としては最適な存在である。霊媒体質と云われる人の殆どが
女性というのも、お腹に生命を宿す事ができる女性ならでは
なのだろう。ただ繰り返して言うけれど、宿すものは何も、
人間の子供だけでは無いと思われていたようである。

元々蛇は、三輪山の蛇ではないが、男が多かった。それがい
つしか、蛇の執念深さと女性の執念深さ、嫉妬深さが重なり
合い、女性と蛇が結びついたようである。

だから今回、蛇である真女児にとって、富子の体を乗っ取る
という事は、簡単だったのだろう。

ついでに補足すれば、同じ紀の国に「道成寺」があった事に
も、蛇女というキャラクターが起因しているのだと思う。


「吾が君な怪しみ給ふそ。海に誓い、山に盟ひし事を速く
わすれ給ふとも、さるべき縁のあれば又もあひ見奉るもの
を、他人のいふことをまことしくおぼして、強ちに遠ざけ
給はんには、恨み報いなん。紀路の山々さばかり高くとも、
君が血をもて峯より谷に灌ぎくださん。」

(そんなに怪しまないでください。海に誓い山にも誓った
仲であるから、こうして再びめぐり逢えるのに、他人の
言葉を真に受けてわたしを遠ざけるならば、恨みを報い
てもらいますよ。紀路の山々がどれだけ高くとも、その
あなたの血を峯から谷に注いでみせましょう。)



この真女児の言葉の冒頭に「海に誓ひ、山に盟ひ…。」
とあるけが、やはりこれは熊野が発行する起請文を意図
してのものだろうと思われる。

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ちなみに起請文とは、ある事柄を神仏に誓うとともに、
もしそれが嘘だったり、その誓約を破ったとしたら、呪
術的な力によって自分は罰を受けるだろうという意味あ
いを持った宣誓書で、熊野であれば「牛王宝印」である。
海や山々に誓いを立てた事で、この「牛王宝印」と同じ
になるという事を含めて、真女児は豊雄に対し、恨みを
報いてもらうと言ったのだと思う。それほど中世時代に
確立された起請文=牛王宝印は絶対なのである。だから
当然、豊雄は罪を償わなくてはならない…。
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by stavgozint | 2007-05-20 17:20 | 「蛇性の淫」

「蛇性の淫」転の部、其の弐



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吉野には、後世になって「龍王権現」が建立されたのだと。
そしてその御神体は蛇であり、元々吉野山の谷間には蛇が
多く棲んでいる事から、真女児の登場はごく自然である。

つまり吉野行きを渋った真女児の心情は、やはり本性が自
身から湧き出てくるのを抑える事のできぬ恐ろしさからな
のだろうか?

「さればこそ。此の邪神は年経たる虵なり。かれが性は淫
なる物にて、『牛と孳みては麟を生み、馬とあひては龍馬
を生む』といへり。此の魅はせつるも、はたそこの秀麗に
姧けたると見えたり。かくまで犱ねきを、よく慎み給はず
は、おそらくは命を失ひ給ふべし。」



翁の言葉には、蛇は淫らなものと表現している。古代は神
秘的なもの、新たな生命を育む存在として蛇が信仰されて
いたのだが、中世になり蛇は多淫なものとして認識され始
めた。

しかし「蛇性の淫」は「白娘子」という中国の蛇と人間の
男の純愛物語が下敷きとなっているという。この「白娘子」
の話では、普通に蛇と人間の間に子供がもうけられている。
そして最後もまた、ハッピーエンドで終わっているのが、
「白娘子」の話だ。

前半部に、真女児と豊雄が結ばれるシーンがあったが、そ
れは神に対して、決して破ってはならぬ誓いを立てたもの
を隠して表現しているのが秋成の考えならは、今回の翁が
示したような淫らな蛇が人に取り憑いで、その者の命を吸
い取る存在の蛇である真女児の正体を、そのまま信じて良
いのだろうか?

考えてみれば、真女児が豊雄と結ばれてから吉野へと向か
うまでは、何も無い平穏な日々が続いていたわけだ。それ
を邪魔したのは、人間が信じる神に仕える者であった。

「青頭巾」を読んでみても、当時の坊主の腐敗を表現して
いるようでもある。上田秋成の心の中には、当時の宗教批
判が読み取れなくもない。それをこの「蛇性の淫」にあて
はめてみても、実は真女児と豊雄…それよりも、物の怪と
しての存在である真女児が豊雄を求めてやまない気持ちを
引き裂く人間達の手段なのであったのかもしれない。
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by stavgozint | 2007-05-19 06:55 | 「蛇性の淫」

「蛇性の淫」転の部、其の壱

真女児と豊雄の契りが結ばれ、平穏な日々が過ぎ、弥生の季
節となった。せっかくだから、ここで吉野の桜を見に行く話
が進む。

奈良の吉野の桜は、全国的に知られている。真女児の言葉に


「よき人のよしと見給ひし所は、

        都の人も見ぬを恨みに聞こえ侍るを…。」



これは秋成が万葉集から伝わる歌を、ここに表現したのだと
いう。とにかく、誰でも見なければ残念に思う吉野の桜を、
豊雄と、その姉夫婦が勧めるのだが、真女児は吉野行きを渋
る。

「我が身稚きより、人おほき所、或は道の長手をあゆみては、
必ず気のぼりてくるしき病あれば、従駕にえ出で立ち侍らぬ
ぞいと憂たけれ。」

(私は、小さい頃から人の多い所や、長い道のりをあるくと
のぼせてしまうので、お供出来ないのが大変辛いです。)



ここで考えなければいけないのは、何故真女児が吉野の桜を
見に行くのを拒むのかだ。この後、豊雄と姉の言葉に渋々従
い、吉野へと向かうのだが…。

吉野川の宮滝は、日本書紀に持統天皇がたびたび行幸された
記述がある吉野の宮があったとされる場所で、実は雨乞いの
呪術を施した地でもある。

真女児は、蛇身であり雨風も操る。その蛇の持つ感覚が吉野
の里で研ぎ澄まされ目覚めるのを恐れて、吉野行きを拒んだ
のだろうか?

真女児一行は、結局吉野へと向かう。

「人々花やぎて出でぬれど、真女児が麗なるには
            
             似るべうもあらずぞ見えける。」



(一行は華やかに着飾って出かけたが、真女児の艶やかさ、
麗しさは、他とは比べようも無いくらい美しいものだ。)



とにかく、ここでも真女児の際立つ美しさを表現している。
美しければ美しい程、その後の恐怖が際立つというのをまた
秋成は知っているのだろう。

「吉備津の釜」に於いても、磯良を美しく表現し、その後に
訪れる変化の恐ろしさを、巧みに操っている。

一行は、かねてから豊雄と親しい間柄であった金峰山寺を訪
れ、主である僧から、やはり吉野の宮滝を勧められて向かう。

宮滝は美しく、そこで昼食などを取って遊んでいるところへ、
翁が登場する。その翁の法力の強さを感じたのかも真女児は
その翁に背を向けるのだが…。
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「あやし。此の邪神、など人をまどわす。

           翁がまのあたりをかくても有るや。」



(妖しいこの邪神め、どうして人を惑わすのか?私の目の前
で、こんな事をするのか。)


この後に真女児は滝に飛び込み、その飛び込んだ先の水が空
に舞い上がり、雲は墨汁をこぼしたように真っ黒となって、
烈しい雨を降らせた。

やはり聖地に存在する滝がきっかけだったのか、蛇の本性が
にじみ出た為にか、翁に正体を見破られてしまった真女児で
あった。

とろで、この場面に登場した翁は大和神社に仕える当麻の酒
人という翁だった。ちなみに大和神社には、真ん中の中殿に
大國御魂神(大己貴神荒魂,大地主大神)を祀っている。
大地主神は、中世に創られた創世神話に登場する神だが、大
己貴は三輪山に祀られる蛇神だ。

またその翁は、当麻の酒人という名の出所は、八岐大蛇を酒
で鎮めるという意味合いを込めての、当麻の酒人だったらしい。
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by stavgozint | 2007-05-17 21:56 | 「蛇性の淫」

「蛇性の婬」

豊雄は、国津罪を百日ほどで償い、その後大和の石榴市に住
む姉の処を、暫くの間お世話になる為に訪れた。

ところがその姉の処に、再び真女児が現れる。豊雄は恐れ戦
くが、真女児の必死の懇願に心の蟠りが崩れ始める。

面白いのは…。

「我も怪しき物ならば、此の人繁きわたりさへあるに、かう
のどかなる昼をいかにせん。衣に縫い目あり、日にむかへば
影あり。此の正しきことわりを思しわけて、御疑ひを解かせ
給へ。」

この当時、妖怪の定義は着物に縫い目がなく、太陽が当たれ
ば影が映らないという俗信があったようだ。これはなんとも
狐が人を化かすのを見分ける手段のような気がするが、その
定義に真女児は当てはまらなかった為に、豊雄の姉が言葉を
出した…。

「さる試あるべき世にもあらずかし…。」

という言葉をかける。これは…「妖怪が、人をたぶらかすな
どという、そんな例がありうるような世の中でもありません
よ。」
という意味だ。

これは現代にも通じる事で、今の世にそんな妖怪などと…と
いう言葉は、秋成の時代であっても迷信が無くなっていた時
代であるという事を言っているようなもの。しかしここで、
秋成のニヤリとほくそ笑む様子が浮かんでくる。「時代が変
わろうが、闇は消えないのだよ…。」と、ほくそ笑むのを。

江戸時代から、明治・大正・昭和・平成と現代に時代は移り
変わっても、世の中の闇、人の心の闇はあり続けるのだとい
う意味を込めてのセリフだったのかもしれない。実際、その
後に真女児の本性が現れる…。


真女児の感嘆に、豊雄の姉夫婦は婚儀を取り結ぼうとする。
元々真女児の美しさに惹かれた豊雄だから、わだかまりさ
え解ければ必然だったわけだ。

「千とせをかけて契るには、葛城や高間の山に夜々ごとに
たつ雲も、初瀬の寺の暁の鐘に雨収まりて、只あひあふ事
の遅きをなん恨みける。」



この文↑は、豊雄と真女児の交歓を表す。「今昔物語」な
どを読むと、かなり露骨な性描写があるのだけど、秋成の
文章は男女の交わりを表す場合でも、品があるというか、
美しいと思う。

上の文章は、山々に広がる雲が立ち去り、暁の鐘には雨が
収まるという表現なのだが「雲」で始まり「雨」で終わる。
いわば「雲雨」が、男女の契りを表す表現なのだという。

この文章を読むと、現代の露骨でストレートな表現に比べ
て、秋成の表現が男女の交わりを美しく醸し出している。

ただその後の真女児の本性は逆に、おどろおどろしい怖さ
に溢れる為、その怖さを引き出す伏線として、豊雄と真女
児の愛の交歓の表現だったのだろうと思うが…。



また昔からの占い事には、始めに神々の名前を連呼するか、
霊山とおぼしき名前を連呼して占うというのが一般的だ。
神々及び霊山を連呼する事によって、その霊を自分自身に
降ろして、霊験あらたかになるというもの。

またそれは、中世に確立された熊野神社による訴請文の内
容にも似通っている。霊山や神々に対し、その契りの重要
性を誓うというもの。それは、命に代えて守らねばならぬ
誓いだ。破った場合はばちが当たる…。それが上記に示し
た「」の言葉に、その訴請文と同じ意味合いが含まれてい
るような気がする。

だから豊雄は、死をもって真女児との契りを守らねばなか
ったのだだ。秋成も、熊野の地を意識したのならば、熊野
が発行する公的文書である訴請文の存在を知っていた筈だ。

だから、この「蛇性の淫」は、蛇の化身である真女児が、
熊野の地で命をかけて神々に誓いをたて、逆に人間である
豊雄がその誓約を破るという暴挙にでる話でもある。つま
り、昔から伝わる異類婚の話において人間である男が、女
である魔物のタブーを破り、その気持ちを裏切ると同じよ
うに、この「蛇性の淫」もまた同じだ。

話の大筋は、恐ろしい真女児からの逃げ延びる豊雄であり、
読者もその成り行きを見守るだけなのだと思うが、実はこ
の時点で、真女児の悲劇性が既に描かれていたのだと思う。
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by stavgozint | 2007-05-16 13:12 | 「蛇性の淫」