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「吉備津の釜」序文



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「妬婦の養ひがたきも、老ての後其功を知る」と。咨、これ
何人の語ぞや。害ひの甚しからぬも、商工を妨げ物を破りて、
垣の隣の口をふせぎがたく、害の大なるにおよびては、家を
失ひ国をほろぼして、天が下に笑を伝ふ。

いにしへより此の毒にあたる人、幾許といふ事をしらず。死
して蟒となり、或は霹靂を震うて怨を報ふ類は、其の肉を醢
にするとも飽くべからず。さるためしは希なり。夫のおのれ
をよく脩めて教へなば、此の患おのづから避くべきものを、
只かりそめなる徒ことに、女の慳しき性を募らしめて、其の
身の憂をもとむるにぞありける。

「禽を制するは気にあり。婦を制するは其夫の雄々しきにあ
り」といふは、現にさることぞかし。




この「吉備津の釜」の序文に、全てのストーリーが要約され
ている。庄太夫の最後が髪の毛の塊だけになるのも「其の肉
を醢にするとも飽くべからず。」という言葉をストーリー上
で示したものだ。

また「死して蟒となり…。」というのは、女と蛇の性質が近
いのだという女性蔑視に近いのかも?他にも「女の慳しき性
を募らしめて…。」というのは、女のねじけた性質という意
味で、やはり女性蔑視?これを当時の女性は、どう読んだの
だろうというのも気になるが…。

ただ最後に「婦を制するは其夫の雄々しきにあり」と、男も
こうでなくてはならぬと諭しているが…。

この辺の秋成の言葉は、生い立ちを調べればわかるのかもし
れない。

ところで磯良の名は、磯良大神という海神からきているようで、
大変醜い者だったらしく「吉備津の釜」では大変美人に仕立て
たのも秋成の悪戯心?
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by stavgozint | 2007-06-03 12:48 | 「吉備津の釜」

源氏物語の仏教思想…。

現役の学生さんからメールで下記↓のような質問がきたので、
自分なりに答えてみようと思う。。。。

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①浮舟の出家、そして宿世についてどう思われますか。

②浮舟は何故出家したのですか。

③女性の出家は誰と誰と誰が出家したのですか。
(空蝉、女三宮、藤壺、紫上、浮舟、こんなもんですか??まだいますか。)

④光源氏は何故出家を希望し挫折したのか。 (もっと、質問したいことが出てくると思います。)

⑤源氏物語は神仏習合でしょうか? それとも仏教思想だけですか。


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>①浮舟の出家、そして宿世についてどう思われますか。


「源氏物語」当時の平安の世は、末法思想が氾濫して、往生
を求める人達が沢山いたらしい。何故かというと戦乱、飢饉
疫病の続く暗い、それこそ末法の社会背景なので、生きて地
獄のような世に住むよりも、極楽浄土に近づけるよう、出家
する、もしくは焼身往生(ほとんどが、下層僧)や、女、子
供できる入水往生が流行ったようだ。だから浮船も、この世
に地獄を見た為に出家したのかもしれない。それが男女間の
揺らめきにしろ、人を裏切る気持ちがまた地獄そのものだっ
たろうから…。

浮舟の話を読むと、思い出すのは桜子の伝説。れもやはり、
二人の男に言い寄られ揺らめく心情の中、命を絶ってしまう
桜子と浮船は、ダブってしまう。

また「宿世」は、運命とも偶然とも捉えられるので、薫と匂
宮の間で揺れ動く宿命を感じ、更に夢信仰もまた広がってい
る「源氏物語」の世に、妹尼が見た夢が重なる「宿世」。し
かし、浮き船はこれを断ち切り、夢信仰の衰退を示す行動に
でるのは、紫式部の未来予知なのかもしれないなぁ。

ついでに思う「浮船」の名前。平安の世での、入水往生
(要は入水自殺)は、大抵船に乗って湖水であったり海
に船を浮かべて、そこから沈み行く…。

この入水する為に波に揺られる浮き舟、更に男の宿世に
揺らぐ浮き船は、それこそ「源氏物語」の浮舟というキ
ャラクターは、初めから作品の完結の意図して、紫式部
が作ったような気がする…。

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>②浮舟は何故出家したのですか。


出家して「浮舟」という自分を捨てることで、新しい自分
になれた、とも言えるかもしれない。

ただ紫式部は更に突っ込んで、全編に拡がる夢信仰の衰退
をほのめかしているような気がする。霊夢という、当時の
仏教系の信仰。一般庶民に信仰心を植えつけるというか、
拡げる為に、聖徳太子から始まった夢殿での夢想が法然や
親鸞・明恵に至る霊夢のお告げに似た様な形式が「源氏物
語」にも拡がる。

「源氏物語」には「夕顔」にて光源氏が2度にわたって霊女
の夢をみている。

また「若菜」にて光源氏は、ただ事じゃない夢を見る。

また「葵」では、六条御息所が、異様な姿となった自分の
夢を見る。

「須磨」では、光源氏が何者(龍王?)かのお告げの夢。

「明石」では、明石入道が2度にわたり霊夢を見る。
更に「明石」では、兄の朱雀帝が、亡き桐壺院が現れる夢。

「逢生」では、末摘花が亡き父の夢を見る。

「朝顔」では、光源氏が亡き藤壺宮の夢を。

「玉鬘」では、玉鬘の乳母が夕顔と、その夕顔に取り憑いた
霊女の夢を。

「蛍」では、内大臣が霊夢を。

「若菜上」では、光源氏が紫上の夢と、明石入道が日月と
須弥山の夢。

「若菜下」では、柏木が女三宮の飼い猫の夢。

「横笛」では、夕霧が亡き柏木の夢を。

「総角」では、中君と宇治阿闍梨が亡き八宮の夢を。

「浮舟」では、浮舟が匂宮の夢を。更に浮舟の母が浮舟の夢
と吉凶の夢を。

「手習」では尼君が霊夢を。

他にも、夢の描写は無いものの、妹尼が亡き娘の身代わりを
授かる夢を見たと言っている。

小野小町の歌にも夢の歌は歌われており…。


思いつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを

うたたねに恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき

いとせめて恋ひしき時はむばたまの夜の衣をかへしてぞ着る



などなど、沢山の夢の歌があるけれと、平安の世は、まさに
夢信仰が政治にも仏道にも恋にも、広がっているのがわかる。

「源氏物語」に張り巡らせてある夢を最後の宇治十帖の浮舟
が夢を否定しているのは、夢がもたらす現世利益信仰?に浮
かれる平安の世を、それだけでは救うことの出来ない生の重
さを扱っている、まさに紫式部の世を見る目なのかも。


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>③女性の出家は誰と誰と誰が出家したのですか。
>(空蝉、女三宮、藤壺、紫上、浮舟、こんなもんですか??
>まだいますか。)



六条御息所、朧月夜の君も、出家組ですかね。後年か…。
紫の上は、正式な出家は最期まで許されなかったが…?
せいぜい、こんなもん↑だと…あとは…?

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>④光源氏は何故出家を希望し挫折したのか。 (もっと、質問したいことが出てくると思います。)


「幻」で紫上に死なれた光源氏の歌…。


うき世にはゆき消えなんと思ひつつ思ひの外におほぞほどふる

なくなくも帰りにしかな仮の世はいづこもつひの常世ならぬに



平安の世の風潮は、全て仮の宿り。体も魂が棲む仮の肉体で
あり、この世も仮の世であり、自分の目で見える全てのもの
は、幻であり仮なのでという風潮。だからこそ、人を恋する
のは肉体ではなく、魂が結ばれるかどうか。だから、身分と
か結婚しているしていないは関係無かった。あくまでも魂が
呼び合うかどうかで、魂逢ひの意識が平安の世にはあった。

「幻」で紫上が死ぬ前に、光源氏はこういう歌を詠んだ…。


大空をかよふまぼろし夢にだに見えてこそ玉のゆくゑてずねよ


結局、物語上では光源氏の夢には紫上は現れなかった。つまり
紫上は、この世に執着が無いという事か、もしくは魂というものの本来は、この世に存在せずに別の世界を漂うものなのかと
いう疑問を、光源氏は感じたのだと思う。


おほかたは思ひすててし世なれどもあふひはなほやつみをかすべき

かきつめて見るもかひなし藻塩草おなじ雲居の煙とをなれ

もの思ふと過ぐる月日も知らぬ間に年もわが世も今日や尽きぬる



だから、紫上の魂に逢う為には、この仮の世でも、出家する事
でも無いと悟ったのかもしれない。


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>⑤源氏物語は神仏習合でしょうか? それとも仏教思想だけですか。


これに関しては、仏教思想だけじゃなく、民間信仰も当然
入ってますだ。平安の世を映し出す文化(いろいろなものが
入り込んだ)として「源氏物語」が存在すると思うなぁ。
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by stavgozint | 2007-06-02 08:05 | 「源氏物語」

「蛇性の淫」決、其の八

蘭若に帰り給ひて、堂の前を深く堀せて、鉢のままに埋めさ
せ、永劫があひだ世に出づることを戒しめ給ふ。今猶、蛇が
塚ありとかや。庄司が女子はつひに病にそみてむなしくなり
ぬ。豊雄は命恙なしとなんかたりつたへける。




道成寺へは、まだ一度も行った事が無いのだけど、道成寺境内
の本堂前に金巻のあとの「蛇室」の石碑があり、清姫の蛇塚
は、境外の田の中にあるというが、この「蛇性の淫」のエピ
ローグの記述は、まさに「安珍・清姫伝説」に帰結させるも
のなのか?

ところで真女児に取り憑かれた富子は結局、病気になり死ん
でしまうが、豊雄は命に別状は無かったと伝えられたと結ん
でいる…。

もしも、豊雄に少しでも真女児と、犠牲になった富子に対す
る想いがあったのなら、その後に出家したとなるのだろうが、
ここでの豊雄は、単なる被害者の男であっただけ。しかし安
珍は因果応報、清姫に鐘の中で焼き殺されてしのうのだが、
豊雄は一般的な怪談映画の主人公よろしく、無事に生き延び
ている。これを、どう捉えるか?

ここまで読んできて、上田秋成はストーリーの中にいいろな
プロットを散りばめて、皮肉交じりでストーリーを展開して
きたようだが、エンディングに関しては何故か釈然としない。

ただ逆に言えば、単なる怖い話として一般に知らしめた「蛇
性の淫」を、その当時の人々がどこまでその奥を知り得たの
か?という事なのかもしれない。この結末を記した秋成の心
情に関しては、もう少し考えてみたい…。
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by stavgozint | 2007-06-01 22:25 | 「蛇性の淫」

「蛇性の淫」決、其の七

大和の石榴市で、豊雄と真女児が再会するのだけれど、石榴市は、
初瀬の地でもある。「こもくりの初瀬」とも呼ばれる地には、また違った
意味もあるのだろうと調べてみた…。

「万葉集」に「こもりくの泊瀬の国…。」などと書かれて
いるのだけど、初瀬の地は川船が停泊する瀬であるようで
すだ。

また「隠国(こもりく)」の初瀬とは、初瀬川を遡る時、両
岸の山々が次第に狭まって袋小路のように尽きる場所を意
味するようです。

「隠国」は「篭る」に通じる言葉で、狭い場所を示すよう
です。

「はつせ」という音も「果つる(はつる)」所の狭い渓谷を
現すようですだ。つまり「こもりく」は「初瀬」にかかる
枕詞?

実は聖徳太子も八角形の夢殿に篭って金人(仏)と会ったと
される逸話などから「篭る」というものは「暗い」「狭い」
を現す場所で「胎内」「洞穴」を示し、そこに現れる観音
などと出会う場所という意味もあるようです。

「長谷寺霊験記」というのがあって、長谷観音そのものが
女性へと変化したと記されているようですだ。

また聖徳太子と同じように、親鸞が六角堂に篭っての夢の
お告げでは、救世観音が女性となって現れ交わろうという
もの。

篭る狭い空間は、元々胎内を現して女性を意味するもので、
「こもりく初瀬」で男がそこで出会うのは、やはり女性で
あり、それは観音様の化身でもあるという…。

更に「隠国泊瀬」を調べると「日本書紀」において倭姫が
天照大神を祀る地として伊勢を見出したのだが、実はその
前に磯城(しき)という地で祀り、その後に伊勢へと遷した
とあるが、この「磯城」が「初瀬の地」なのだと。

つまり「初瀬の地」は、古来から聖なる地であり、神々し
さが溢れる地でもあるという事。

この地で、豊雄は真女児と再会したというのは、秋成の皮
肉の成せる業?それとも、観音になれる可能性の真女児を
人間である豊雄が魔物に変えてしまったのだろうか?
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by stavgozint | 2007-06-01 09:32 | 「蛇性の淫」