<   2008年 01月 ( 4 )   > この月の画像一覧

「吉備津の釜」4

とにかく「吉備津の釜」は、怪談話の定番のような設定だ。その
恨みを凝縮させた形が、最後のライトなのだろう。ラストシーン
のおぞましさで、どれだけ怖い話か伝わるのだろう。

この「吉備津の釜」でのラストは正太郎が髪の毛だけになってしまう…。


明けたる戸腋の壁に生々しさき血灌ぎ流れて地につたふ。されど
屍も骨も見えず。月明かりに見れば軒の端にものあり。ともし火を
捧げて照らし見るに、男の髪の毛のもとどりばかりかかりて、外に
は露ばかりのものもなし。浅ましくも恐ろしさは筆につくすべうもあ
らずなん。



古来中国では、髪は魂の抜け出る場所と思われていた。なので、
魂が抜け出ないように、髪を束ねて、それを防いでいたようだ。それ
は日本にも伝わりやはり、髪を束ねている文化もあった。

ところがザンバラ髪は、いつ魂が抜け出てもおかしくない状態。もしく
は、幽鬼の類は、魂をほとばしらせて悪行を重ねるので、ザンバラの
頭の人間もまた妖怪視されたようだ。

髪の毛はとにかく、魂の出入り口なのだが、その髪の毛だけになった
正太郎というのは、とにかく魂を含め全ての物を、磯良に奪われてしま
ったものとして、衝撃的な結末なのだと思う。

それとその前に…陰陽師は筆をとり、正太郎の背より手足に及ぶまで、
文字を書き記したが…ここで思い出すのは「耳無し芳一」の話だ。耳に
だけお経を書いてもらわない為に、亡者に耳を持って行かれた芳一と、
正太郎の酷似は多分、後に小泉八雲がこの「吉備津の釜」を読んで取り
入れたのでは無いだろうか?
[PR]
by stavgozint | 2008-01-26 17:50 | 「吉備津の釜」

「吉備津の釜」3

吉備津の釜のストーリーで、一つ解せないのが、磯良を騙し
遊女と逃げた先、播磨の国に逗留し、磯良の生霊の仕業で
なのか遊女の死んだ後、墓地で出会った磯良に仕える女…。

登場人物がに少ない「吉備津の釜」において、ある意味謎の
存在である。連れの彦六曰く、狐狸の類だろうという事だが、
顔は違えど、死んで磯良に取り込まれた袖の姿だったのでは
ないだろうか?

磯良という生霊の恨みにより、死んだ袖。その亡骸を葬った墓
地に、磯良に仕える身として、磯良が袖の魂を使う事によって
晴らす怨みの一つと思えば、物語上納得してしまうのだが…。
[PR]
by stavgozint | 2008-01-25 20:36 | 「吉備津の釜」

「吉備津の釜」2

ところで、庄太夫みたいなヤクザ?な男は、江戸時代に多く発生している。
国定忠治などは、群馬などでは養蚕が盛んで女が一生懸命働いてる為の
逆の現象だ。

髪結いの亭主と同じに、女が働けば、女の紐になる男が増えてきた時代
でもあったようだ。それだけ世の中が平和になった証しでもあるのだろ
う。

とにかく、戦国の世みたいに男が中心となり戦をしている最中は、男と
しての価値もあったが、江戸時代となって戦もなくなり、本来の武家と
は違う身分の男達、もしくは武家から商人に身を転じた男達から平和な
世が誕生し、その次の世代から庄太夫みたいな男達が増えてきた。

この「吉備津の釜」の話もある意味、庄太夫が磯良に抱いた感情は、男
の存在価値が失われて、その存在価値を示す磯良に対する嫉妬心なのだ
ろう。

世の平和が男の存在価値を失わせ、女に対する嫉妬心を誕生させ、平和
な世の中を実は乱し、このような怨念劇を生み出してしまった…。
[PR]
by stavgozint | 2008-01-24 20:29 | 「吉備津の釜」

日本の古来には、夢文化があった。夢とは現実に関与するもの。
なので、良い夢を見るのに一生懸命だったふしがある。

夢のお告げにより、悟りを得た坊さんの話や、夢によってお宝
を得た話など沢山ある。

古来、蝶々は自分の魂の具現化の虫であり、寝ている間に鼻か
ら魂である蝶々がヒラヒラと抜け出して、行った事も無い土地
へ行って、お宝や美人などを探してくる。その夢を頼りに、初
めて行った場所でもデジャヴーと同じくその土地を理解し、そ
のお宝であったり、美人であったりと遭遇するというもの。



また小野小町の歌にも、いくつかの夢の歌がある…。



* うたたねに恋ひしき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき

* 思いつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを

* かぎりなき思ひのままに夜も来む夢路をさへに人はとがめじ




最後の歌の解釈は平安の当時、夜に女から殿方の元へ出向くという
のははしたなく許されないものだったが、夢であるなら私の方から
参りましょうという大胆な歌で、当時としては衝撃的な歌だったら
しい。



ところが古代ローマになると、夢スパイというのが存在し、当時の
民衆の夢を管理していたのだと…。

古代日本でも、古代ローマでも、夢というものは現実になりえるも
のと認識されていたようだ。

古代ローマでは庶民の間に溶け込んだ夢診断をする人物がいて、そ
の当時の人々の夢を聞いて判断し、危険な夢と判断した場合は国家
へ報告し、その危険な夢を見た人物は投獄されたり、処刑されたと
云う。

考えてみると最もな話で…夢というのは、その人の持つ潜在意識の
具現化みたいなもの。エッチな妄想に取り憑かれている人物は淫靡
な夢をよく見る筈だし、それこそ国家転覆を願っている者は、当然
その当時の国家に対する不満などが夢として具現化するものだ。

夢というのは在り得ないものではなくて、その人物の頭の中身を示
すものだから、古代ローマで夢診断が普及したのは当然の結果なの
かもしれない。

現代では、夢は夢でしかないというけれど、やはり自分の持つ不安
や願望が夢に現れるので、夢診断というのは、その人物を知るには
有効な手段だと思う。
[PR]
by stavgozint | 2008-01-17 09:48 | 古典の世界