<   2009年 06月 ( 4 )   > この月の画像一覧

「浅茅が宿(序章其の六)」

いにしへの真間の手児奈をかくばかり

     恋ひてしあらん真間のてこなを
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「浅茅が宿」の最後に記される歌が、上記の歌なのだが、
貞淑な宮木を思う勝四郎の心が、何故伝説の手児奈の歌で
終らせているのだろうか?ここに「浅茅が宿」の謎が隠さ
れているような気がする。

勝四郎の妻である宮木が、死ぬ間際に書き記した歌は下記の通り。


さりともと思ふ心にはかられて

     世にもけふまでいける命か


「新潮日本古典集成」での訳は…。


「それにても、夫がまもなく帰ってくるでしょう、と思う
 自分の心に騙されて、よくもまあ、この世に、今日とい
 う今日まで生きてきました、わたしの命よ。」



この宮木の歌に、手児奈の伝説を結び付けるには無理があ
るような気がするのだが。。。
[PR]
by stavgozint | 2009-06-15 20:23 | 「浅茅が宿」

「浅茅が宿(序章其の五)」

c0105899_191742.jpg

上田秋成の癖として…例えば、磯良神とは神話上、醜い神
の代名詞であるのだが「吉備津の釜」において、貞淑な美し
い”磯良”という女性を作り上げた。

今回の「浅茅が宿」の”宮木”は貞淑な妻を演じているが、
「春雨物語(宮木が塚)」での”宮木”は遊女となっている。
まあだからといって「宮木が塚」の”宮木”は遊女でありな
がら、ふしだらな遊女とは言えず、心は美しい存在として
描かれている…。

また「浅茅が宿」に登場する伝説の手児奈は、誰とも結び
付く事の無く入水した「聖処女」として扱われているが、先に
記したように「手児奈」とは遊女としての名称でもあった。

ところが「手児奈」とは別に、似たような存在として「菟原処女」
という、やはり少女がいる…。

摂津国菟原郡に住んでいたという伝説上の人物で、二人の
男性から求婚され、悩んだ果てに自殺したという女性で「万
葉集」などで詠われる”聖処女”で、これはやはり先に紹介
した”櫻児”と似たような話の伝説の少女となる。
[PR]
by stavgozint | 2009-06-15 19:18 | 「浅茅が宿」

「浅茅が宿(序章其の四)」

ところで遊女の歴史を調べると、白太夫やら、歩き巫女やら、
傀儡女と、似たような存在がいる事がわかる。

遊女は体を売ったのだが、遊女と同じく、歩き巫女もまた体を
売ったと伝えられる。

しかし、日常の夫婦間の性行為と違って、不特定の人との性
行為は、非日常の「ハレ」だという概念があるようだ。つまり、
歩き巫女との性行為とは「神婚」であり「聖婚」であったのだと。

笑い話に、女性の女陰に向って手を合わせ「菩薩様」と拝む
のと、同じ感覚である。実際、浄土宗の親鸞は、夢の中で救
世観音(救世菩薩)の化身と交わる内容を許す夢を見たとさ
れる。つまりこの「聖婚」「神婚」の具現化は、神に仕える
巫女との交わりであったのだと思われる。

歩き巫女は旅の途中、峠などの宿で頼まれて、旅人と交わっ
たという。これは何も、男の欲望のままというわけではなく、
先に記した「聖婚」「神婚」という意味があったらしい。

遊女や歩き巫女と同じく、傀儡女がいた。この傀儡女を称し
て、下記のように称したのだと。

「女は愁い顔で泣く真似をし、腰を振って歩き、虫歯が痛い
ような 笑いを装い、歌をうたい、淫らな音楽をもって、妖
媚を求める。 父母や夫や聟は、彼女らがしばしば行きずり
の旅人と、一夜の契 りを結んでも、それを構わない。身を
売って富んでいるので、金 繍の服・錦の衣・金の簪・鈿の
箱を持っているから、これらのも のを贈られても、異にせ
ず収める。」



傀儡子ではあるが、女は傀儡女とも呼ばれ、どちらかという
と遊女という扱いを受けているが、遊女と傀儡女の違いは歌
にあるようだ。遊女の条件は美声で美女であるのだが、傀儡
女の場合は、歌が上手で美声である事のようだ。

「更級日記」では傀儡女の歌を称して…。

「声すべる似るものなく、空に澄み昇りて、めでたく歌をうたふ。」

また…。

「声さへ似るものなく歌ひて、さばかり怖ろしげなる山中に立ちゆ
くを、 人々あかず思ひて皆泣くを、幼きここちには、まして此の
やどりを立 たむ事さへ飽かずおぼゆ。」
とある。

この「更級日記」の記述から読み取ればつまり、本来の傀儡女
とは、歌女なのだろう。それも、西洋の船人を惑わすセイレーン、
もしくはローレライのような歌の力を持った存在に等しかったの
だと思う。つまり傀儡女もまた”聖なる存在”であったのだと考える。
[PR]
by stavgozint | 2009-06-14 05:34 | 「浅茅が宿」

「浅茅が宿(序章其の三)」

ところで、この「浅茅が宿」を読んでいると違和感を覚える。
勝四郎の身勝手さにより、愛妻である宮木を失っている悲し
みに、何故か強引に「手児名」を結び付けている感がしてな
らない。

【万葉集】

「人みなの言は絶ゆとも埴科の石井が手児が言な絶えそね」

「東路の手児の呼坂越えかねて山にか寝むやどりはなしに」


と、手児とは男に愛嬌よくする女であって、旅人を泊めるように
云わば、遊び女が「手児」であったようだ。何故に貞淑である
「宮木」と、遊び女である「手児名」を結び付けようとしているの
だろうか?

以前「宮木が塚」をした時、やはり「浅茅が宿」と「宮木が塚」で、
何故に”宮木”という女性が登場するのか?とやった。

時代的には「春雨物語」よりも「雨月物語」の方が古い。しかし、
「雨月物語」の「浅茅が宿」に登場する宮木は貞淑の鏡のような
女性であるのに、「春雨物語」の「宮木が塚」での宮木は遊女で
あった。しかし、これを結び付けるのは「手児名」という存在になっ
てしまう。

つまり「雨月物語(浅茅が宿)」はある意味「春雨物語(宮木が塚)」
の序章とも捉えられる可能性はあると思う。また、それと共に、上
田秋成の”宮木”という女性に対する想いがあるような気がしてなら
ない。。。。
[PR]
by stavgozint | 2009-06-13 19:15 | 「浅茅が宿」