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by stavgozint
| 2008-04-16 19:49
| 遠野の生き物達
「白峰」は、出だしの紀行文の美しい色とりどりの情景が浮
かび上がる表現が際立っており、それに対比するかのように、 山の深い闇と、崇徳上皇の怨念という暗く深い闇を覆わせて いると思う。 そして西行の歌と共に、白々と夜が明けて闇の黒色を吹き払 うという、陰影に際立った構成となっている。 文章には、いろいろなものを含んでいるのだが、それよりも まして、鮮やかな色が際立つ文章なのだと思う。 白色は神の色、もしくは浄化の色を示すという。寒い冬が訪 れ、大地を白い雪が覆い隠して浄化し、その浄化された大地 に再び、新たな生命が生まれるのだという、日本古来からの 思想があった。その思想に合わせる為、敢えて「白峰」とい う題名に決めたのではないだろうか? また黒不浄という言葉は、死を現す。まあ大抵の死霊は、夜 の闇と共に訪れるのだが、主人公である神霊の崇徳上皇を現 す場合、白と黒の対比は必然だったのだろう。死霊としての 黒色に、自らは人間だと我に返り、夜が空ける様の対比。 そして崇徳上皇の怨念という情熱を現したのが、崇徳上皇の 周りを囲んだ陰火だ。赤色は血を現し、そしてその者の情熱 を現すのだという。 話は脱線するが、ボクシングなどでの青コーナーは王者の色 で知性を現し、挑戦者はその情熱を現す為に赤コーナーなの だという。 秋成の色鮮やかな文章の技法に、当時の人々は何を思い、何 を感じたのだろうか? #
by stavgozint
| 2008-04-16 16:40
| 「白峰」
其の後十三年を経て、治承三年の秋、平の重盛病に係りて世を
逝りぬれば、平相国入道、君をうらみて鳥羽の離宮に籠めたて まつり、かさねて福原の茅の宮に困めたてまつる。…。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 最後の文章の流れは歴史の口上となり、いかに崇徳上皇の怨霊 が恐ろしいものなのか伝え、その崇徳上皇を祀る御神として扱 い終わっている。 実際、崇徳上皇の怨霊は明治の世にも伝わり、明治天皇は孝明 天皇の意思を汲み入れ、1868年に京都の飛鳥井町に「白峰 宮」を建立し祀っている。またその同じ年に、勅使が讃岐へと 向かい、崇徳上皇の御神霊の前で宣命を読んでおり、歴代天皇 を震え上がらした天皇として近代まで伝わったというのは、そ れだけ崇徳上皇が悲劇的だったのだろう。 元々天皇は祟る神として知られ、武家社会となっても、その祟 りを恐れるあまり、余分な存在と感じつつも、天皇を殺すまで は至らなかった歴史がある。 #
by stavgozint
| 2008-04-16 16:11
| 「白峰」
十日あまりの月は峯にかくれて、木のくれやみのあやなきに、
夢路にやすらふが如し。ほどなく、いなのめの明けゆく空に、 朝鳥の声おもしろく鳴きわたれば、かさねて金剛経一巻を供養 したてまつり…。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 深い山の闇が消え去り、明るくなっていく様をえがいている。 まるで今までの情景が悪夢だったかのように。 「いななめ」とは「寝の目」と表し、やはり夢の如くという という風に取れるのだろう。 またよくある昔話に、鳥の泣き声(大抵はニワトリ)に驚き 鬼という魔が逃げるという話がある。ここでも、基本?を押 さえ、鳥の鳴き声が朝の爽やかさを表し、今までの闇との 対比を果たしている。 ところで崇徳上皇が書き綴った経は確かに京へと一度は送ら れたのだが、実は華厳経の巻の一だけが、何故か塩飽水軍に 伝わっている。これはもしかして、崇徳上皇は京に送りつけ た経が処分されるのを想定して、塩飽水軍に伝えたのかもし れない。そしてももしもだが、崇徳上皇の死後、もしくは経 が処分された後に、水軍が蜂起する算段を施していたのだろ うか? この「白峰」での文では「金剛経一巻を供養したてまつり…。」 とあるが、この金剛経は全ての煩悩を断って、無我の理を説 いたものだという。 崇徳上皇に残った一巻のお経を、後世に残す為の呪いの欠片 と捉えるか、または崇徳上皇を成仏させる為のお経と捉える かだが…秋成は後者を選び、西行に対して、魔道に堕ちた崇 徳上皇と共に、このお経を供養して、白峰を下っている。 #
by stavgozint
| 2008-04-16 14:53
| 「白峰」
魔道の浅ましきありさまを見て涙しのぶに堪へず、復び一首の
歌に随縁のこころをすすめたてまつる。 よしや君 昔の玉の床とても かからんのちは何にかはせん (たとえ昔は立派な玉座に居られたにしても、君よ、このような 無常な死にお会いになってしまわれた現在は、いったい、それが 何になりましょうか。) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 西行の心からの歌に我に返ったのか崇徳上皇は「御面(みおもて)」 も和らぎ…とある。この文の以前、魔道に堕ちた崇徳上皇の顔を 評して「龍顔(みおもて)」と表現していた。 つまりここでは、高みである上皇という位置にいた崇徳であり、 魔道という闇の奥深くに堕ちた崇徳上皇の顔を「龍顔」と表し、 西行の歌によって我に返り、人間・崇徳に戻った顔を「御面」と 表現したのではないだろうか? #
by stavgozint
| 2008-04-15 21:20
| 「白峰」
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