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「白峰」展開部3

沙石を空に巻上ぐる。見る見る、一段の陰火、君が膝の下より
燃上がりて、山も谷も昼のごとくあきらかなり。光の中につら
つら御気色を見たてまつるに、朱をそそぎたる龍顔に、荊の髪
膝にかかるまで乱れ、白眼を吊りあげ、熱き嘘をくるしげにつ
がせ給ふ。

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この深い闇の黒の情景に、鮮やかな炎という赤が浮かびあがる。
深い怨念の闇という黒色に浮かび上がる、復習という情熱の赤色
を示す崇徳上皇の情景だ。

こうして見ると、穏やかで美しい情景の色彩描写をして白峰へと
辿り着いた西行を待っていたのは、月の明かりも届かない常なら
ぬ山の深さと、崇徳上皇の心の闇の黒色に加え、激しい怨念の赤
色という色彩だった。

これが最後に西行の一言で我にかえる崇徳上皇に、白々明ける夜
明けという白色に白峰の白がかぶるのかもしれない。

これを舞台で上演すれば、見事な色彩の舞台になると思われる…。
# by stavgozint | 2008-04-15 21:17 | 「白峰」

「白峰」展開部2

西行いふ、「君かくまで魔界の悪業につながれて、仏土に奥万里を
隔て給へば、ふたたびいはじ」とて、黙してむかひ居たりける。

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仏土を光とすれば、魔界は闇である。崇徳上皇の登場する時の情景に…。

「日は没りしほどに、山深き夜のさま常ならね…月は出でしかど、茂
きが林はは影をもらさねば、あやなき闇にうらぶれて…。」
とある。

この後半の西行の言葉が、崇徳上皇の登場する情景に見事に重なった。

「山深き夜のさま常ならね」という語と「茂きが林は影をもらさねば」
という語は、仏土に億万里届かぬ崇徳上皇の深い闇を現している。

月は出ていても、影をもらさぬという、つまり崇徳上皇を覆う茂みで
あり、闇の深さという事だろう。
# by stavgozint | 2008-04-15 21:14 | 「白峰」

「白峰」展開部

『若し咒詛の心にや』と奏しけるより、そがままにかへされしぞうらみ
なれ。いにしへより倭漢土ともに、国をあらそひて兄弟敵となりし例は
珍しからねど、罪深き事かなと思ふより、悪心懺悔の為とて写しぬる
御経なるを、いかにささふる者ありとも、親しきを議るべき令にもたがひ
て、筆の跡だも納れ給はぬ叡慮こそ、今は旧しき讐なるかな。所詮此
の経を魔道に回向して、恨をはるかさんと、一すぢにおもひ定めて、指
を破り血をもて願文をうつし、経とともに志戸の海に沈めてし後は、人に
も見えず深く閉ぢこもりて、ひとへに魔王となるべき大願をちかひしが、
はた平治の乱ぞ出できぬる。

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延々と崇徳上皇の恨み節が連なる箇所だが、ここで魔道と魔王という
言葉が出てくる。江戸時代の”魔”といえば、多くは天狗を現したそうだ
が、他の書物で”魔王”という語が登場するのは「稲生物の怪録」という
怪談話だ。

田中貢太郎の「日本怪談全集」では「稲生物の怪録」ではなく「魔王物語」
と紹介している。

「今こそ我が名を名乗らんが、我は狐狸などの類にあらず、日本国中に
在る高山を往来する山本五郎左衛門と云う魔王なるぞよ…。」と、やはり
天狗に近いものを魔王と称している。

魔とは、人に害悪をもたらす神であり、その不気味な力の働いている事
であるという、当時の概念から人間世界を超越した力は魔であったので、
その力を齎す高山に関わった修験者などが、天狗という存在となり魔とな
ったのだろう。

「今昔物語」の巻二十の七にやはり、ある屋敷の妻が物の怪に取り憑か
れ、それを祓う為に葛城山で修行し法力を得た聖人が、その妻の魅力に
取り憑かれて魔道に堕ち天狗となってしまうエロチックな話がある。

他にも震旦の部の巻十の「聖人、后を犯して国王の咎を蒙り、天狗となる
語」という話も殆ど似ている。

つまり聖人であればあるほど、色欲や怨みによって人の道を外れた場合
に天狗となっている。つまり逆の取り方をすれば、それだけ純粋であり、
正しい道を歩んでいた人物が陥りやすい落とし穴に落ちて魔道へ向かっ
てしまった崇徳上皇は、やはり無実だったという事だろう…。
# by stavgozint | 2008-04-14 18:19 | 「白峰」

「白峰」序文その9

>只、天とぶ雁の小夜の枕におとづれるを聞けば、都にや行くらんと
>なつかしく、暁の千鳥の洲崎にさわぐも、心をくだく種となる。烏
>の頭は白くなるとも、都には還るべき期もあらねば、定めて海畔の
>鬼とならんずらん…。



鳥は昔、魂を運ぶものとして考えられていた。これには古来からゾロ
アスター教が日本に伝わった為だという説もある。そのゾロアスター
教には鳥葬という儀式もあり、やはり死者の魂を運ぶ為の意識があっ
たようだ。ここで鳥がしきりに使われているのも、崇徳上皇の魂の漂
いを意識してのものだったのかもしれない。

ただ、この文は「保元物語」に似たようなものが記されている。


「夜の雁の遥かに海を過ぐるも、故郷に言伝せま欲しく、

 暁の千鳥の洲崎にさわぐも御心を砕く種となる。」(保元物語 巻三)



実は上田秋成の文には、過去の作品の引用がかなりある。ただし盗作
というものではなく、文章を書き記している時に思い浮かんで引用し
ているのかもしれない。それを意図的と考えると…読者に対し、どこ
までわかるか?というあくまでも謎解きとしてのものなのか…。

過去に、ある映画があった。完全パロディ映画で、日本で上映されて
いる時のキャッチフレーズは「あなたは、どこまでわかる?」だった。

この映画は、過去の名作のパロディを随所に散りばめて、観客の映画
の知識を試すものだった…。

もしかして上田秋成作品も、読者に対して「あなたは、どこまでわか
る?」と、遊び心を発揮して、意図的に挿入されたのかも。。。


ところで崇徳上皇の歌に「浜千鳥跡…。」という歌が詠まれている。
浜千鳥跡とは、文字または文章の事で、ここでは崇徳上皇の書き記し
た大乗経全百九十巻の事をいう。

浜千鳥跡の本来は、古代中国の黄帝の時の故事で、ある人物が鳥の足
跡から文字を創作した事によるらしい。
# by stavgozint | 2008-04-04 16:40 | 「白峰」

「白峰」序文その8

この後、西行と崇徳上皇の問答となるのだが「事を正して罪をとふ。
ことわりなきにあらず。」と、西行の言い分を認め怒りが収まった
崇徳上皇の言葉がもれる。そして…。

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只、天とぶ雁の小夜の枕におとづれるを聞けば、都にや行くらんと
なつかしく、暁の千鳥の洲崎にさわぐも、心をくだく種となる。烏
の頭は白くなるとも、都には還るべき期もあらねば、定めて海畔の
鬼とならんずらん…。



浜千鳥跡はみやこにかよへども

            身は松山に音をのみぞ鳴く

(わたしが書いた文字は都へ行くけれども、我が身はこの松山で

         千鳥の泣くように、むせび泣くばかりであるよ。)



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【崇徳上皇怨霊伝説】


崇徳上皇は、後生菩提の為、指の先から血を流しつつ3年をかけて
五部の大乗経全百九十巻を写経したと云う。

しかし崇徳上皇は、この大乗経を京へ送ろうとするが、不浄のもの
として、送り返される。


「後生の為とて書き奉る大乗経の敷地をだに許されねば

       今生の怨のみにあらず。後生までも敵ござんなれ。」



そのまま舌を噛み切り、その血をもって経文に誓約文を書き記した。



「この百九十巻の写経の功力を行業をそのまま三悪道に投げ込み、

           其の力をもって日本国の大魔縁とならむ。」



崇徳上皇は、瀬戸内海において写経沈めを行ったと云う。その時、
経を納めた箱が解けて中から煙が立ち、童子が海に舞うなど奇怪な
現象が現れたという伝説が残っている。
# by stavgozint | 2008-04-03 19:02 | 「白峰」