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「青頭巾」序章5

また「身に墨衣の破たるを穿て…。」とある。この姿をイメージすれば、
大抵の場合”乞食坊主”?というイメージを、大抵の人が思い浮かべ
るのかもしれない。

かろうじて坊さんの姿をしてはいるが、その身なりから、どれだけの人
が、徳の高い坊さんという意識を持つだろう。

死者の供養は、平安末期に浄土宗の坊さんが死体を前に手を合わせた
事から始まったのだという。それまでは、死体は穢れの元でもあったので、
誰も供養するという意識は無かったようだ。

時代が進み、いつの間にか葬式という概念が庶民に広がり、葬式をする
事によって寺へ収入が広く入るようになったのだった。

しかし天下が統一され太平の世が訪れて豊かになったのか、坊主どもは
更なる豊かさを求め、葬式の後の忌明け四十九日の他に、初七日や一周
忌、お盆の法要などなど、沢山の法要をくみ入れ、寺の収入の安定期に
入ったのが江戸時代だ。

豊かになれば、坊主であろうが慢心はするようで、この頃になり遊郭の
他に高価な男娼というのも現れ、一般の庶民は遊郭で遊び、お金がある
坊さんなどは、その高価な男娼を買うという時代でもあった。

お釈迦様は、それこそボロボロの雑巾のような衣を纏っていたという。
そして食べ物を恵んでもらえる鉢を手にしていた。根源的な坊さんの姿
とは、衣と鉢だけの姿だった…。

「衣鉢を継ぐ」とは、お釈迦様のその持ち物を、死んだらその弟子が受
け継ぐものとしてあり、本来の意味はこういうものだった。

ボロボロの衣の汚い褐色の事をインドの言葉で「カシャーシャ」。これ
が漢訳されて「袈裟」となったのだという。ところが時代が進み、坊さ
んが経済的に豊かになった為か、本来は汚いものであった「袈裟」が、
いつの間にか豪華絢爛たる衣に移り変わっていった。

「青頭巾」の最後の方に、鬼となった阿闍梨に青頭巾を被せるシーンが
ある。これは快庵禅師の破れたボロボロの墨のような衣の姿を、根源的
仏教本来の姿とし、身に着けていた青頭巾を阿闍梨に預けた事により、
”衣鉢を継ぐ”という意味へと通じさせたのではないだろうか?
by stavgozint | 2008-04-25 19:16 | 「青頭巾」
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